地唄箏曲美緒野会 The world of traditional Japanese music

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地唄箏曲の作曲家達

私共が平素、好んで良く弾いております地歌箏曲の作曲家を中心に
何となく聞きかじって、
ただ思いを馳せるだけの方々も含めて
わかる範囲で、なるべく年代順になるように表にしてみました。

何でもすぐに物忘れしてしまう私の備忘録でございます。
これからも、本で読んだりお話を伺ったりなどするおりごとに
すこしづつ書き足してまいりたいと思います。

なにぶん不勉強な浅学の徒…
間違いがございましたらどうぞご指南くださいませ






<作曲家名索引>
生まれた順  あいうえお順



作曲家名
生没年
(活躍場所)

楽曲名 Background 同時代の有名人(生没年)や出来事
近世邦楽期(織豊期〜江戸期) …当道座員が優れた音楽家として、三都(江戸/京都/大阪)を中心に活躍した 
賢順

1547?-1636
(久留米)
りんぜつ
布貴
四季
花の宴

善導寺(福岡県久留米市善導寺町にある浄土宗大本山の寺院)の僧。

雅楽と法要が結びついた従来の寺院雅楽に琴楽を加えて、寺院音楽を大成。箏を伴奏とする独演による組歌形式の歌曲。「筑紫流箏曲」と呼ばれる。

箏はかつて、雅楽の「管弦」にのみ用いられ、平安時代には、貴族の必須教養である詩歌管弦の伴奏楽器として愛好されていた。やがて、お箏を弾きながら、今様(当時の流行歌)を口ずさんだりして楽しまれるようになり、「越天楽うたいもの」として大流行する。寺院では、箏にあわせて声明を歌い、寺院歌謡として定着。

1520頃? 三味線伝来

お市の方(1547-1583)
本阿弥光悦(1558-1637)

俵屋宗達(生没年不詳)
石村検校

1562?-1642
(京都)
琉球組
鳥組
腰組
不詳組
飛騨組
忍組
浮世組

秀吉の頃から江戸時代初期にかけて活躍した琵琶法師出身の三味線演奏家。
永禄年間(1558-1569)に、琉球から堺に伝来した三弦(サンシン)を改良して三味線を作った人と言われるが異説もある。

慶長〜寛永(1596-1644)頃、最古の芸術的三味線歌曲である『三味線組歌本手組』7曲を創始。現在これらは『表組』と呼ばれている。
寛永19年逝去。


<ルネサンス音楽>
モンテヴェルディ(1567-1643)

1567 楽市楽座令
出雲阿国(1572-?)

中世文芸は連歌が主流→
1582 明智光秀「愛宕百韻」
1593 秀吉が名護屋で能を習い始める

虎沢検校

1600?-1654
(京都)
   
文禄・慶長のころに活躍した三味線の名手。
石村検校門下。
浄瑠璃三味線の祖である沢住検校や山野井検校(柳川検校の師)の師。
師匠の石村検校とともに三味線組歌表組7曲を作曲したとも、その中の琉球組を除く6曲を作曲したとも云われる。
または、師匠の石村検校から伝えられた琉球組を発展させて、本手組に対して新しい曲風の破手組(端手組)を作ったとも云われる。但し、端手組は柳川検校が作ったとの説が有力か?
承応3年逝去。

1600 関ヶ原の戦
1603 出雲阿国が京都の北野天満宮で興行

徳川家光(1604-1651)
柳川検校

?-1680
(大阪)

(京都)

比良や小松
待つにござれ
早舟
弄斎

細り
青柳
長崎
葛の葉
京鹿子
下総
片撥
賤?
錦木
揺上

寛永(1624-1644)頃、三味線の名手として、八橋検校と共に大阪で活躍。その後、京都で名人として名を馳せる。
京都の柳川流(早崎流)の始祖。
寛永16年(1639)検校に登官。
三味線組歌の本手組を編曲して新しい手法を加えた破手組を作った。
「待つにござれ」など7曲の端手組・「賤」などの裏組7曲・「揺上」など7曲の秘曲の合計21曲の作曲者とされる。
   
八橋検校(注)

1614-1685
(大阪)

(江戸)

(京都)

(八橋の十三組)
-表組-
菜蕗
梅が枝
心尽し
天下太平
薄雪
雪の晨
-裏組-
雲上
薄衣曲
桐壺曲
-中組-
須磨
-奥組-
四季の曲
扇の曲
雲井の曲

六段の調
八段の調
みだれ
六段すががき
十二段すががき
雲井弄斎

近代箏曲の始祖。
箏、三絃、胡弓の名手。

寛永(1624-1644)の初め頃、摂津で三味線家として活躍。その後、江戸に下り、賢順の弟子・法水から筑紫流箏曲を学んで、これにさまざまな改良改変を加えて、現在の箏の基礎を作った。その後、上洛。

雅楽調の筑紫箏の調弦を、半音を含んだ陰音階Clickに改める。
胡弓の弓を改良。
表組・裏組合わせて十三の箏組歌(八橋の十三組)を制定。

「雲井弄斎」…寛文以前から大流行していた弄斎(隆達節をより以上に面白く唄ったもの)という小唄の中から高尚な歌三首を選んで、雲井調に作曲したもの。
1613 全国にキリスト教禁止令
1613 ロシア/ロマノフ王朝始まる

1615 大阪夏の陣、豊臣氏滅亡
1616 徳川家康没
1618 能が式楽となる

菱川師宣(1618-1694)
『見返り美人図』
北島検校

?-1690
(京都)
 

(箏組歌)
明石
末の松
空蝉
羽衣の曲
若葉?

八橋検校の弟子で生田検校の師。
正保2年(1645)検校登官。
元禄2年(1689)第34代職検校となった。
元禄3年(1690)逝去。
  
佐山検校

1620?-1694
(江戸)


三段獅子
桜尽し
恋衣
躑躅
冬草
木遣

柳川検校門下。
狭山検校とも記す。
1666年に検校登官。

三味線組歌本手組の掛け撥が当時の人の好みに合わないと考え、破手組の片撥から工夫した長歌を創始。

1626 猿若座(のちの中村座)の公許→庶民の間に歌舞伎や人形浄瑠璃などの芝居見物が広まる


1629 遊女歌舞伎禁止
1633 奉書船以外の海外渡航禁止
1637-38 島原の乱

市川検校
(江戸
(長歌)
狭衣
四季

春日野
柳川検校門下。
貞亨元年(1684)検校登官。
浅利検校・狭山検校と並び称された。

春日野…井原西鶴作詞

井原西鶴(1642-1693)
松尾芭蕉(1644-1694)

1643 江戸のかぶき者を規制
1643 ルイ14世即位
1644 明朝滅亡

徳川綱吉(1646-1709)

1652 若衆歌舞伎禁止
1653 野郎歌舞伎開始

近松門左衛門(1653-1724)

生田検校

1656-1715
(京都)

(箏器楽曲)
五段の調

(三絃二重奏曲)
四段砧(京砧)

(箏組歌)
鑑の曲
思川
四季源氏

(三絃手付)
十二段すががき
小笹


江戸前期・中期の箏曲家。
八橋検校門下の北島検校に箏曲を学ぶ。
元禄8年(1695)生田流を名乗り、生田流箏曲の始祖となる。
角ツメを創始。
半雲井調子や中空調子などの新しい調弦法を案出。
元禄9年(1696)に検校となり、生田検校幾一を名乗る。

芸術的に高度に洗練された地歌三絃と箏とを合奏することで有名になり、大きな功績を残した。それ以前にも、三味線・箏・一節切(尺八)による合奏が行われていたという資料がある。

   
野川検校

?-1717
(大阪)
かぞへ歌
春草
衣尽し
子の日
舞扇
若松

三味線組歌野川流の祖。
元禄9年(1696)に検校登官。
平曲奏者として活躍したという記録がある。

柳川検校から朝妻検校へ伝えられた三味線組歌に改編を加えて曲目を32曲に定め、大阪を中心に野川流として伝承。後に<菊筋><富筋><中筋><楯筋>と細分される。山陽地方や九州地方にも伝わった。
菊筋では、野川流の全32曲が現在まで伝えられている。

箏組歌と異なり、ひと歌の拍数が一定ではない。
破手組では、ハジキや複雑なユリなどを使い、テンポも自在に緩急をつける。

尾形光琳(1658-1716)
岸野次郎三

1660-?

(京都)

狐火
古道成寺
こんかい

関寺小町
放下僧
松風
六段恋慕


元禄〜正徳(1688-1716)に活躍した地歌三絃の名手および作曲家。非盲人の劇場音楽家。
京都祇園の茶屋「井筒屋」の主人で、歌舞伎の三味線方として活躍しながら、地歌の芝居歌ものを数多く作った。
忠臣蔵の大石蔵之助との交流でも知られる。

<バロック音楽>
アレッサンドロ・スカルラッティ(1660-1725)

倉橋検校

?-1724
(京都)

新雲井弄斎(奥組)
橋姫(復曲)
生田検校の高弟。
大阪の米山検校とは別に生田流を伝承。
  
初代
坂本(江戸)半太夫

?-1743
(江戸)
意見蘇我
月見蘇我
煙草蘇我
風呂入り蘇我
五大力
浅間

元禄期に、江戸浄瑠璃のひとつである半太夫節をつくる。
説経・歌祭文の上手。
門下から、河東節の祖である江戸太夫河東が出た。

半太夫節…浄瑠璃の中でも格調高く、情味豊かな曲趣であるところが検校達に好まれ、地歌の中に引き継がれた。題材は殆ど蘇我兄弟の物語。調子の低いどっしりとした感じを武士が好んだ。言葉は美文調であったが、曲そのものが地味でお嬢様方に教えるには不向きなため、次第にごく一部の人のものとなっていった。

「風呂入り蘇我」…高杉晋作が好んで歌っていた曲。特に『頭巾はときの隠れ笠、羽織はときの隠れ蓑〜』という部分を好んだといわれる。

   

城志賀

1670?-


萬歳
靭猿
      
1673 市川団十郎「荒事」
1678 坂田籐十郎「和事」
1682 八百屋お七の大火


杵屋長五郎

1680?-
(江戸)

出口の柳 元禄・宝永期(1688‐1711)に活躍した歌舞伎の三味線方。

徳川吉宗(1684-1751)
十寸見河東(通称/天満屋藤十郎 1684-1725)

深草検校

(京都)

古さらし
盤渉調
鐘が岬

(三味線組歌)
千代の鶯
新弄斎
新七つ子
十二月新組
千代の恵

(長歌)
丹頂の鶴
冬の夜

(三絃手付)
六段の調
六段すががき

享保(1716-36)のころ、三味線の名手として京都で活躍。
柳川流の早崎検校の門人で、柳川流中興の祖。
野川検校と並び称された。

「さらし」は、北沢勾当(1600年代後半)の原曲を深草検校が発展させた曲。京都宇治川で布をさらす作業を表現したもの。有名な合の手(間奏)が長唄「越後獅子」などにも借用されている。
1684 大阪道頓堀で義太夫「竹本座」創設

1685 八橋検校没
J.S.バッハ(1685-1750)

<小袖の発達>
貞享(1684-88)の頃、従来からあった金銀摺箔・絞り・刺繍に加えて、糊置防染の友禅染を発明

<元禄時代>
1688 元号が元禄に
1689 芭蕉「奥の細道」へ旅立つ
三橋検校

1700?-1760
(京都)

(江戸)

四季の富士
玉鬘
雲井九段
雪月花
浮舟
四季の恋
宮の鶯
玉川
橋姫

生田検校・倉橋検校門下。
八橋検校以降の箏組歌の作曲者として有名。
富山藩のお抱えとなって富山藩江戸屋敷に住み「江戸生田流」を創始。
『東遊記』は三橋検校の伝記。
1702 赤穂浪士討ち入り
1703 近松「曽根崎心中」初演大当り
1704 江戸長唄の名が初めて見られる

継橋検校


1700?-
(大阪)

難波獅子
八重霞
享保年間に大阪で活躍。
(1732登官)

1711 「冥途の飛脚」初演
1714 江島生島事件

安村検校

?-1779
(京都)
飛燕の曲
七段の調
三味線を柳川流の田中検校に、箏を倉橋検校に学ぶ。
箏組歌を整理して「撫箏雅譜集」を刊行。
すぐれた門弟が多く、のちにその各系統から、名古屋系・大阪系(新生田流)・山田流などが生まれた。

1716 八代将軍に吉宗。享保の改革始まる。

与謝蕪村(1716-1784)

1717 十寸見河東(ますみかとう)半太夫節から分かれて河東節を創始

    
歌木検校

1720?-1790?
(大阪)

露の蝶
菜の葉
通う神
かくれんぼ
言葉じち

長歌や繁太夫物のほか、新傾向の端唄物を数多く作曲。
(1756登官)
1722 小石川養生所設立
津山検校富一

1730?-

(京都)
神楽
都獅子

深草検校門下。
「琴線和歌の糸」「新曲糸の節」を編集。
(1756登官)

*後になって、津山撥を考案した津山検校とは別の人。系統的なつながりもない。

エカテリーナ2世(1729-1796)
鶴山勾当

(大阪)

(江戸)
正月
由縁の月
四つの袖
たぬき

地歌三味線演奏家。
端歌を数多く作曲して名を挙げる。

浄瑠璃の繁太夫節の曲風をまねた地唄独自の新作を作曲→繁太夫物と呼ばれる。
歌い物である地唄が、語り物風の表現を取り入れて芸風を拡大した点、また、すでに途絶えてしまった繁太夫節・半太夫節の面影を今に偲ばせる点で重要。

江戸吉原に出て上方物を江戸に紹介→宝暦12年(1762年)「泉曲集」を編集。
歌が悲しすぎるという理由で、吉原では鶴山節を禁じたという逸話がある。


宮古路豊後掾「所作事」完成(1730頃)
藤尾勾当

1730?-
(名古屋)

梓(尾州某?)
鉄輪(尾州某?)
虫の音
屋島
富士太鼓


明和〜安永(1764-1781)に活躍した三味線の名手。
謡曲を題材とする作品をいくつも作った。
謡曲の詞章の一部分をそのまま歌詞に使って地唄に作曲したもので、謡曲物と呼ばれる。


本居宣長(1730-1801)
河原崎検校
(京都)

歌恋慕

(箏手付)
葵上

鉄輪
貴船

「歌恋慕」…箏組歌付物。
元禄以前の歌謡を組み合わせて歌詞とする。題名が尺八の曲名風なので、手事は巣籠地がそえられている。藤谷検校の「常世の曲」と打ち合せる。
   
芳沢金七 石橋
新道成寺

石橋…地唄の芝居歌で、歌舞伎事始めに、「三味線は杵屋喜三郎で、享保19年滝川菊之丞がこれを増補して芳沢金七が節付けした」とある。大阪と京と二種類あって、ふしは大阪が勝り、手は京の方が良く出来ているという説あり。

新道成寺…2代目杵屋長五郎と共に、古道成寺に手付。

    
国山匂当
(京都)

玉川

(三絃替手手付)
六段すががき
八千代獅子

生没年不詳。
江戸中期ごろ京都で活躍。
  
玉岡検校

1730?-

(大阪)
鶴の声
朝戸出
口切

1751年登官。菊永検校から宝暦年間(1751-1764)に三味線組歌の伝授を受ける。
宝暦13年(1763)に検校となる。
繁太夫節を弾いて流行らせたり伝えたりした。

杉田玄白(1733-1788)
円山応挙(1733-1795)

広橋勾当

1740?-

(大阪)


菊の露
八郎兵衛
蓬莱
  
  
湖出市十郎

1740?-1800

(江戸)
黒髪
鳥辺山
白妙
釣狐
十三鐘

江戸中期の長唄唄方。
1747年頃から江戸森田座に出演。
1768年から江戸中村座で活躍。
初代中村富十郎と上った大阪でも高く評価された。
特に、明和‐天明期に流行していた独吟のメリヤスもの(芝居の下座音楽)を得意として名曲「黒髪」を唄って人気を博した。
寛政12年逝去。


  

石塚検校
(大阪)
花の宴
生田検校の曾孫弟子。
1775年検校登官。
オランダ調子の市浦検校とは相弟子。
市浦検校の師。
九州系の祖として有名な宮原検校の源流にあたる。

   

房崎勾当
(大阪)

 
墨絵の月  安永から天明(1772-1789)頃に大阪で活躍。
  

松島検校
(大阪)

椿づくし
落とし文
江戸土産

天明年間に活躍。
寛政9年(1797)11月江戸中村座上演の錦絵に、松嶋検校の絵がある。
  

市浦検校

1740?-

(大阪)

オランダ萬歳
こんかい
鎌倉八景

(箏手付)

虫の音
八千代獅子

古道成寺

文化年間に大阪にいた市浦検校は、当時輸入されたオルゴールの音楽にヒントを得て、「オルゴール調子」を発明。
三味線の旋律にべた付けではない箏の旋律を作って合奏を始めた。
  
 
藤永検校
1742-1780
八千代獅子
延宝から享保頃に活躍。
「歌系図(1783刊行流石庵羽積著)」に、元来尺八(一節切)の曲なるを政島検校胡弓にうつし、藤永検校三絃にうつせしより世に広まりぬ、とある


 

1747 常盤津節創始
1748 富本節創始

1748 竹田出雲の「仮名手本忠臣蔵」竹本座で初演


松浦検校

1750?-1822
(京都)

末の契り
新松尽くし
若菜
新浮舟
玉の台
里の暁
鳥追
嵯峨の春
六歌仙

(松浦の四つ物)
宇治巡り
四季の眺め
深夜の月
四つの民


文化文政時代、三味線曲の代表的作曲家。
1798年(寛政10)検校に登官。
大阪の峰崎勾当や三橋勾当が完成させた「手事物」の様式を京都風に洗練させ、「京流手事物(京物)」のスタイルを確立した。
大阪ものの雰囲気や手事の構成を残しつつ、京風な優雅さ、感覚的な洗練を加えている。
文政5年逝去。

「若菜」の節回しに声明の影響があるといわれる。
ゲーテ(1749-1832)
峰崎勾当

1750?-1801
(大阪)

ゆき
梅の月
小簾の戸
袖の露
袖香炉
別世界
花の旅
残月
越後獅子
吾妻獅子

(箏手付)
根曳の松

「手事物」の確立者。
日本音楽史上、最高の作曲家といわれている。
組歌に代表されるような従来の規範性を持った曲調を脱却し、端唄物(当世風)の名曲を数多く残した。
また、大阪手事物の大成者のひとりでもある。
初世植村文楽軒(1751-1810)
喜多川歌麿(1753-1806)
四代目鶴屋南北(1755-1829)
マリーアントワネット(1755-1793)
山田検校

1757-1817
(江戸)
(箏組歌)
初音の曲

江戸中・後期の箏曲家。
尾張藩宝生流能楽師の子。
河東節・一中節などといった江戸ッ子好みの浄瑠璃を取り入れた語物的な箏曲の分野を確立。
楽器を改良して、より音量の大きな山田箏を完成させた。
山田流箏曲の始祖。



葛飾北斎(1760-1849)
酒井抱一(1761-1829)

1762 女帝エカテリーナ2世即位

写楽(1763?-1820?)
小林一茶(1763-1828)
十辺舎一九(1765-1831)

1765 鈴木春信「錦絵」を創始



小野村検校

1768-1840?
(大阪)

(長歌/尽し物)
瀧づくし
亀島検校門下。
富筋の祖・富沢勾当は孫弟子。
1778年登官。
1768 荻江節創始
津山検校
(初代)

1770?-1836
(名古屋)

(大阪)
七草

(長歌/尽し物)
紅葉尽し

文化年間(1804-18)頃に野川流長歌40番、番外10番を制定。
小振りの京撥を改良して、先端が薄くなった大型の撥を考案→津山撥。
「黒髪」の演奏を得意とし、その歌い方は津山節といわれたという。
大阪市天王寺区下寺町二丁目の円成院「遊行寺」に葬る。
津山検校の名前は、5代目(大正時代)まで続く。


ベートーヴェン(1770-1827)

1772-1781 「明烏夢泡雪」「若木仇名草〜蘭蝶〜」初世鶴賀若狭掾作詞・作曲
菊崎検校

1770?-1840?
(京都)
西行桜
船の夢
扇尽し

1795年登官。
大阪菊筋の祖である菊永検校門下。宮城道雄が習った中島検校系の祖。
寛政の頃、峰崎検校とともに『手事物』を大成した代表者。

1772 義太夫「竹本座」閉業
八重崎検校

1776-1848
(京都)

(箏手付/八橋検校)
みだれ替手
八段替手

(箏手付/菊岡検校)
磯千鳥
今小町
梅の宿
楫枕
笹の露
里の春
園の秋
竹生島
茶音頭
ながらの春
御山獅子
大和橋
夕顔

(箏手付/光崎検校)
七小町
三津山
桂男

(箏手付/松浦検校)
宇治巡り
四季の眺め
新浮舟
玉の台
四つの民
若菜

(箏手付/石川勾当)
新青柳
八重衣

(箏手付/峰崎勾当)
越後獅子

(箏手付/三橋勾当)
根曳の松

(箏手付/菊崎検校)
船の夢

(箏手付/藤崎検校)


(箏手付/菊山検校)
春の曙

箏の名手。
三味線を本手、箏を替手として複旋律で奏でる「京流手事物」の合奏法を大成した。。これによって合奏の芸術レベルが飛躍的に高まる。
松浦検校や菊岡検校の地歌三絃に、繊細で技巧的な箏の手付を数多く手がけた。
1815年登官。

多大な音楽的功績を残したが、金銭には疎く清貧な生涯を送ったことが知られ、京都の両替商万屋がパトロンとして生活を支えた。
門人には、光崎検校・松崎検校・葛原勾当・松坂春栄など。
   
   
菊山検校
(大阪)
春の曙
嘉永年間(1848-1854)に活躍。
菊池検校門人。

  
石川勾当

1780?-1850?
(京都)

(石川の三つ物)
新青柳
八重衣


(三絃替手を手付)
吾妻獅子
玉川
八段の調
新娘道成寺

文化・文政時代に京都で活躍。
技工的な三絃の名曲を作曲。
晩年は孤独だったと伝えられる。
  

村住勾当

1780?-1840?
(大阪)

名取川   
     
   
油屋茂作

1780?-1840?
(京都)

すり鉢

(作詞/峰崎勾当)
袖の露
別世界
花の旅

京都の旦那衆。 頼山陽(1781-1832)

三橋勾当

1780-1832
(大阪)

松竹梅
根曳の松
文化・文政時代に大阪で活躍。
峰崎勾当と並ぶ三絃手事ものの代表者。
一下りの調弦を考案。
1789-1799 フランス革命
菊岡検校

1792-1847
(京都)

磯千鳥
今小町
梅の宿
楫枕
笹の露
里の春
園の秋
竹生島
茶音頭
ながらの春
御山獅子
夕顔
(箏手付は八重崎検校)

ままの川
(箏手付は松野検校)

けしの花
(箏手付は2代目松崎検校)

老松
(箏手付も菊岡検校)

光崎検校と同門。
15歳で検校に登官した。
京流手事物の代表的作曲家。
そのほとんどに、八重崎検校が箏の手付をしており、菊岡・八重崎の名コンビとして名高い。
    
浦崎検校
(京都)

(箏手付/松浦検校)
嵯峨の春
里の暁
深夜の月
末の契り

生没年不詳。
天保・弘化年間(1830-1848)に京都で活躍。
  
長岡勾当
(大阪)
京名所 
菊永検校の門人。
寛政(1789-1801)のころ「京名所」を作曲。

  

菊平勾当
(大阪)

袖の雨
歌恋慕? 
文政から幕末の人。 安藤広重(1797-1858)
光崎検校

1800?-1853
(京都)
五段砧
秋風の曲

桜川
夜々の星
七小町
千代の鶯
三津山
夕べの雲
蕾の梅
 

幕末期、本居宣長らの国学の影響を受けて復古主義の時代を迎え、純粋に箏だけの曲を作曲して、箏曲史上に一大転機をもたらした。
三味線に従属しない箏曲を復興して吉沢検校に影響を与えた。
菊岡検校と同門。
箏の師は八重崎検校。
1821年(文政4年)検校登官。

五段砧…箏の高音と低音での二部合奏として革新的な作品。
秋風の曲…白楽天の長恨歌から歌をとる。精魂を込めて作曲するため、竹生島弁財天に参籠。弁財天のご加護によってこの調子が生まれたという。
夕べの雲…旧思想に反感をもった検校が、三絃を絶対によせない箏の本曲に三絃の手をつけたもの。さすがに京都では弾かれず、熊本に伝わり、明治30年代に川瀬里子によって持ち出されて弾かれるようになった。

1802-1814 十辺舎一九「東海道中膝栗毛」

1805 人形浄瑠璃文楽座の祖である初世植村文楽軒(1751-1810)資材をなげうって大阪に立人形興行を始める

宮原検校

1800?-1864
(久留米)

水の玉 江戸後期から幕末にかけて久留米で活躍。    
吉澤検校

1808-1872
(名古屋)

(京都)

(古今組)

千鳥の曲
春の曲
夏の曲
秋の曲
冬の曲

(新古今組)
新雪月花
山桜
初瀬川
唐衣

蝉の曲
花の縁
玉くしげ
夏衣
深山木
新山姥
捨扇

(箏手付)
屋島ほか多数


幕末期に名古屋で活躍。
12歳で藤尾勾当の「屋島」に箏の手付をしたと伝えられるほど作曲能力に長けていた。当時の生田流箏曲の風潮に反骨精神を持って「箏組歌復古」を唱えた人。

三味線を中心にして箏はそれを支える立場(地歌が「主」で箏が「従」という関係)であり、また、「京風手事物」にみられる技工的で華美な手付であった当時の生田流箏曲を、箏本来の簡素で素朴な響きを活かした「箏組歌」へ回帰する新しい古典精神を確立する気品ある曲を目指した。

雅楽の盤渉調からヒントを得て、「都節音階」と「律音階」が混合した雅俗折衷の独特な古今調子Clickを考案。明治新曲に大きな影響を与えた。

吉沢検校の古今物は、組歌を基本にしているので、手事はなかったが、明治中期に松坂春栄が華やかな手事や替手をつくり、今はそれが定着している。右にあげた最初の五曲を『古今組』と呼んでいる。
晩年は京都に移る。
明治5年(1872)逝去。

  

在原勾当

1810?-1867
(大阪)

さむしろ
松の寿
山陰出身。
大阪で活躍。
地歌大阪ものを作曲した。
1811 文楽座創始
葛原勾当

1812-1882
(広島)
花形見
狐の嫁入り
『葛原勾当日記』
明治16年(1882)逝去。

1813 女性の身だしなみにかかわる総合的な本「都風俗化粧伝」が出版され、ロングセラーになる。

1814 清元節創始

1814 滝沢馬琴「南総里見八犬伝」

幾山検校

1818-1890
(京都)
萩の露
打盤・横槌
四季の寿
磯の春
新玉鬘
影法師
川千鳥

文政元年の生まれ。幕末から明治前期に活躍。
三絃の名手と言われた鶴岡検校の門人。
京風手事物最後の作曲家。
当道職屋敷が廃止された明治4年以降は幾山榮福と名乗る。
箏の手も自作が多い。
地歌としての最後の曲である『萩の露』を作曲。
謹厳で独身を通し、明治23年(1890)77歳で逝去。


河竹黙阿弥(1816-1893)

1821 伊能忠敬「大日本沿海興地全図」完成

勝海舟(1823-1899)


北村文

1830?-1860?
(京都)
影法師
川千鳥

元京都祇園の義太夫を弾く芸妓。
豪商三井がその芸を愛でて落籍。
幾山検校の弟子または協力者で、影法師・川千鳥を共作した。



1830 北斎「富獄三十六景」

1833 広重「東海道五十三次」

近代邦楽期(明治維新後)…階級制度などが廃止されて新しい価値観が生まれた。 明治新曲と呼ばれる。
菊植明琴

1835-1913
(大阪)
菊の朝
楠の露

初代菊植検校、2代菊沢検校に師事。
安政5年2代菊原吉寿一となり、文久元年菊植の2代目を継ぐ。養子に菊原琴治。
大正2年79歳で逝去。

坂本龍馬(1835-1867)

菊高検校

1838?-1888
(大阪)

御国の誉
新聞紙
   徳川慶喜(1837-1913)
古川滝斉

1838-1908
(京都)
春重ね
面影

(ふるかわ ろうさい)
天保9年生まれ。

春重ね…三井家の後室の作唄といわれる。明治18年知恩院の歌びらきに発表された。


1841 <天保の改革>
老中水野忠邦が行なった幕政改革。贅沢を禁じ、芸事も厳しく取り締まった→一般家庭で三味線を弾くことを禁止・寄席も制限・江戸町中にあった稽古所はみな閉鎖etc。

長谷検校

1842-1920
(熊本)
(尺八手付)
新浮舟
舟の夢
宇治巡り

熊本市鍛治屋町に生まれる。
三味線の名手。
長谷検校の名声で、九州の地唄箏曲の中心が久留米から熊本に移る。
義太夫を好み、義太夫三味線の音色に影響を受けて、それまでの京都柳川流の小ぶりな三味線を改良。撥を大きくしたり胴つりにも工夫。撥・駒・棹・胴の規格を統一して『九州三味線』を創作。
終生、熊本に住んだ。
1920年(大正9年)逝去。

九州系地唄を東京に普及させた。
門人に川瀬里子・宮城道雄・福田栄香・中島雅楽之都。


1844 水野の失脚と共に、天保の取り締まりは、しだいに緩んだ。

ニーチェ(1844-1900)


菊崎検校

1845-1921
(大阪)

相生の曲  相生の曲…明治36年(1903)に六段に打合せる為に作曲    

菊塚与市検校

1846-1909
(大阪)

三の景色
明治松竹梅
菊仲検校門人。
   

高野茂検校

1847-1929
(東京)

(鹿児島)
大内山
鹿児島出身。
九州系。
熊本の本田勾当の門人。
1884年華族女学校箏曲科の教師として東京に赴任。
国風音楽会を創立。
流派を超えた音楽講習所をおこしたり、箏の交響楽を試みたりして明治17年から明治37年にかけて生田流に新風を送った。
明治34年東京を去って郷里の熊本に引退。
昭和4年83歳で逝去。
門人に、加藤柔子・鈴木湖村。

大内山…明治天皇の銀婚式のお祝いに作曲。

  

菊末検校

1852-1892
(大阪)

嵯峨の秋 明治25年40歳で逝去。   
武内城継検校
1852-?

鶴亀の曲
養老の曲
吉野天人の曲

   
   

松坂春栄検校

1853-1920
(京都)

楓の花
墨絵の蘆

(手事と替手を補作)
春の曲
夏の曲
秋の曲
冬の曲

京都で活躍。

「楓の花」…明治30年頃作曲した明治新曲。作詞は幕末から明治期の歌人尾崎宍夫で、京都の嵐山を流れる大堰川の初夏の風物を唄っている。
1853 ペリー浦賀来航
寺島花野

1855-1920
(名古屋)
新高砂
箏曲家・胡弓奏者。
安藤検校に地歌箏曲・平曲・胡弓を学ぶ。
名古屋盲唖学校教員、国風会音楽会会長などを務める。
大正9年逝去。

  
西山徳茂

1857-1898
(大阪)
秋の言の葉
浪花土産

(箏手付)
松の寿
住吉詣

岡山出身。
明治初年に大阪に出た。
明治10年ごろに「秋の言の葉」を作曲。
明治31年逝去。

「秋の言の葉」…小督もの。唄詞は岡山藩主池田茂政(1836-1897)(15代将軍慶喜の弟)の作。


坪内逍遙(1859-1935)
森鴎外(1862-1922)
黒田清輝(1866-1924)
夏目漱石(1867-1916)


1868 明治維新
横山大観(1868-1958)
1871 当道制度・普化宗ともに廃止


川瀬里子

1873-1957
(東京)

 
夫はは初代川瀬順輔。
長谷光輝の弟子。
吉田久子に名古屋系の生田流箏組歌を学ぶ。
昭和22年里心会を結成。九州系の地唄箏曲を普及。
旧姓中山。熊本県出身。



島崎藤村(1872-1943)

<新歌舞伎>
岡本綺堂(1872-1939)

鈴木鼓村

1875-1931
花売女
大原女
おもひで
紅梅

宮城県出身。明治8年生まれ。
国文学と八橋流箏曲を学ぶ。
陸軍軍人などを経て福井中学の教頭に赴任。与謝野鉄幹夫妻らと交流し、新体詩に作曲して新箏曲を提唱。1907年に箏曲「京極流」を名乗り、初代宗家となる。京極流はその後、福井の雨田光平が宗家を継いだ。
大正7年頃より「那智俊宣」と改名して大和絵を描いた。


  
楯山登検校

1876-1926
(大阪)

時鳥の曲
金剛石
新巣籠
鶴亀の曲
水は器

明治新曲の代表的作曲者。
明治9年生まれ-昭和元年逝去。
   

菊塚検校
(大阪)


明治松竹梅
巌上の松

    
菊武祥庭
(大阪)

稚児桜
雲雀の曲
星と花

    
菊原琴治

1878-1944
(大阪)

春琴抄
秋風の辞
わだつみの
住の江の
菊の壽

(菊原四つ物)
摘草
最中の月
雲の峰
銀世界

(箏手付)
玉川
越後獅子
名所土産

(三味線手付)
六段
新高砂

菊筋の代表者として昭和初期まで活躍。
晩年は三味線組歌の保存と普及に尽力。
明治11年生まれ-昭和19年逝去。
与謝野晶子(1878-1942)

1879 文部省に音楽取調掛設置

富崎春昇

1880-1958
(大阪)

(東京)

楠昔話
富崎宗順に師事。
大正7年東京に移り、関西系の地歌を紹介する。富山清琴の師。
昭和33年逝去。

 

菊仲米秋

1883-1952
(神戸)

雪の花 昭和6年日本当道音楽会本部長。
明治16年生まれ-昭和27年逝去。

1883 鹿鳴館開館
志賀直哉(1883-1971)
本居長世(1885-1945)


米川琴翁

1883-1969
(東京)

 
米川暉寿(姉)・斎藤芳乃都・小出いとに師事。
大正9年研箏会を創設。
岡山県出身。


<童謡詩人>
葛原しげる(1886-1961)


宮城道雄
1894-1956
春の海…ほか多数

(箏手付)
こんかい
尾上の松

箏曲の現代化に貢献した作曲家。
生田流2世中島検校門人。
三絃は長谷検校に師事。

明治27年(1894)4月7日、外国人が多く住む神戸居留地に生まれる。幼少期は西洋の音楽ばかりに囲まれて過ごした。
8歳で失明してお琴を始める。
生家の事情で朝鮮半島に渡り、13歳のときから箏と尺八を教えることで生計をたてる。
明治42年14歳で処女作「水の変態」を作曲。
大正8年第1回自作箏曲演奏会で「吹雪の花」「秋の夜」「若水」「春の夜」「晩秋」「唐砧」「水の変態」「都をどり」を発表。
大正10年、新楽器十七絃を発表。
有名な「春の海」は昭和4年(1929)の作品。
昭和12年に東京芸術大学教授となる。

宮城のかいた楽譜(点字譜)は、五線譜ででも表記できるのが特徴。
日本的な雰囲気を残しながら、すぐに覚えることが出来て親しみ易い洋楽的なメロディの要素を加え、ハーモニーも意識して音を重ねた。音域を広げるための十七絃や大胡弓などの楽器も開発。新日本音楽運動と名付けられて一世を風靡した。宮城の作品は「新曲」とよばれる。

芥川龍之介(1892-1927)
1895 うた沢創始

1905 明治38年「当道音楽会」創立

1906 漱石「草枕」
1907 鈴木湖村「京極流箏曲」

1912 大正元年
大正8・9年ころ、ロシア革命や第一次世界大戦の影響もあって外国人の一流演奏家が大挙来日、演奏会を開き『洋楽ブーム』を迎える。

1926 昭和元年


(注)聖護院八ツ橋総本店さまのご厚意で、
素晴らしいサイト様へリンクさせて頂いております。
   八橋検校のことや八橋忌のことなどの詳しい説明がございます。
どうぞご覧下さい。







<江戸の年号>

慶長 1596-1615 元和 1615-1624 寛永 1624-1644 正保 1644-1648
慶安 1648-1652 承応 1652-1655 明暦 1655-1658 万治 1658-1661
寛文 1661-1673 延宝 1673-1681 天和 1681-1684 貞享 1684-1688
元禄 1688-1704 宝永 1704-1711 正徳 1711-1716 享保 1716-1736
元文 1736-1741 寛保 1741-1744 延享 1744-1748 寛延 1748-1751
宝暦 1751-1764 明和 1764-1772 安永 1772-1781 天明 1781-1789
寛政 1789-1801 享和 1801-1804 文化 1804-1818 文政 1818-1830
天保 1830-1844 弘化 1844-1848 嘉永 1848-1854 安政 1854-1860
万延 1860-1861 万久 1861-1864 元治 1864-1865 慶応 1865-1868





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石川勾当  村住勾当  油屋茂作  三橋勾当  菊岡検校  浦崎検校  長岡勾当 
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